【チョビの脳腫瘍闘病:悲しみへの対処編】

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父の祭壇スペース 2020/5/29

父の作った祭壇スペース。亡くなった祖父らの写真とともに、チョビの写真も飾られています

 

先日はじめてチョビの月命日(26日)を迎え、あらためてお墓で手をあわせました。

亡くなったのはつい昨日のようであり、何年も前のようでもあり。

時間の感覚がマヒした状態が、もうずっと続いています。

 

2020年10月追記 脳腫瘍の闘病まとめシリーズは以下の5つとなります。

 

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チョビの闘病と介護が終わって

今回のチョビの闘病では、私もはじめて経験することがたくさんありました。

忘れないうちにメモしておこうとまとめ始めたら……

思った以上に書いておきたいことが次から次へとでてきてしまいました。

 

しかもすでに、少しずつ忘れ始めていたので焦ります。

お世話はあんなに大変だったのに。

なんとか1回でまとめようと四苦八苦していたのですが、とてもじゃないけど無理でした。

 

とにかく写真だけでもと、バックアップ(先日HDDが壊れたので)から必要なものを選ぶこと数十枚。

関連写真を探して加工するだけでも丸一日がかりとなりました。

けっこうな量ですよね。

介護環境や薬など、今後テーマごとに、何回かにわけて出せればなーと思います。

 

今回は、チョビが亡くなってからの精神面みたいなことについて、なんとなくまとめてみました。

 

喪失感の行き場

あくまでも私の場合、ということですが。

 

今回のことに限らず、つらく感じたことは文章にして書き出したり、誰かに話したりすると楽になることがありました。

昔の猫が亡くなったときも、そのことについて正直に「つらい」と吐き出すと胸の重さがやわらぎ、その後だんだん気持ちにも折り合いがついていきました。

 

これはフクのときにもうすうす感じていましたが、今回のチョビでほぼ確信にかわりました。

感情をアウトプットする場を作るのは、たぶんとても大事なことなのでしょう。

(弱さを見せない人はカッコイイですが、精神衛生上はあまりよろしくなさそうです。)

 

喪失感のようなもやもやとした負の感情をかかえたままでいると、心のどこかで

忘れたい」←→「忘れちゃいけない

というような葛藤がうまれ、それがストレスになります。

 

これをいったん外部記憶装置(ノートや紙、PCやネットなど)に保存しておくことで、

これがあるからいつでも思い出せる」→「忘れても大丈夫

と思えるようになり、気が楽になる感じかもしれません。

単純なことに思えますが、私の場合はやるとやらないとで大ちがいでした。

 

人によっては言葉ではなく、絵だったり、音楽だったりでそれを表現できる人もいます。

自分に合った方法でアウトプットすることで、負の感情すら、自分の成長のかてにできるかもしれませんね。

 

そういえば私はもともと油絵出身で、大学に入るまでは、抑圧された感情を画面にぶつけるようなとても表現的な作風でした。

高校3年の夏休み、予備校の宿題で20号の自画像を描いていた時期に、かわいがっていた猫を病気でを亡くし……

と、このまま続けるとたんなる思い出話になるのでこのへんにしておきます。

気がむいたらnoteあたりでこっそり。

 

チョビが亡くなってからの父

感情のアウトプットといえば気になるのは父のことです。

 

チョビベッタリだった父ですが、チョビが亡くなってからもなぜかあまり変わらないよう見えました。

でもこちらにわからないだけで、おそらくとてつもない苦しさを抱えていたのだと思います。

昔世代の男性は人前で悲しむのはよくないと教育されているので、たぶんうまくその感情を出せないんじゃないかなぁと。

 

感情をうまく吐き出せないと、そのエネルギーは内にたまっていきます。

すると、時にそれが別のよくない形(心身の不調やうつなど)で出てくることもあるので、注意が必要です。

 

前述のように、私はそういうとき、境遇をわかってもらえる友人に話を聞いてもらったり、公開・非公開に関わらず気持ちを文章などで書き出すようにしています。

10年前になったうつ病が寛解して以降、その方法が私の立ち直りへの近道でした。

 

さいわい今は、猫関係についてはツイッターやこのブログなどがあるので、ため込んで心をやられることはほぼありません。

猫以外のことはなかなかうまく処理しきれないことも多いですが。

 

父も昔からの仕事仲間に猫友がいるそうで、これまでは何かあれば飲みにいき、情報交換や猫自慢をしていました。

それがこのコロナ騒動でいっさいできなくなり、かなりしんどいのではないかと。

 

先日父が、たまたま電話でそのお友達にチョビの報告をしているのを聞いたとき、ポロッともれた「あれは本当にしんどかった」という言葉。

平静をよそおってはいましたが、かなり実感がこもっているのがわかりました。

うちではけして弱音をはかない父ですが、少しでもはやくまた、お友達と飲んで発散できる状況になってくれることを願ってやみません。

 

おわりに

父は「家族には強いところを見せたい人」なので、私にできることは少ないのですよね。

外で飲めるようになるまではせいぜい、うちで飲むときに可能なかぎり話の聞き役をしてあげようと思います。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。
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