今日は阪神淡路大震災の日。
4年前の東日本大震災の記憶ともかさなり、いろいろなことを考えた一日でした。
阪神大震災当時のうちの猫
わが家は関東圏なので、’95年の震災の影響はほとんどありませんでした
そのいっぽう、20113年の震災のときはこのあたりも大きくゆれ、
猫たちが動揺していたのを思いだします。
1995年当時自分はなにをしていただろうと思いめぐらすなかで
そういえばそのころのうちの猫事情はどうだったっけ?……と
なんとなく猫アルバムを引っぱりだしてみました。
すでに震災と関係のないところへ意識がいってしまってます。すみません。
たぶんそのころうちにいたのは、この猫たち。
箱のなかの2匹は親子でともにメス。
左のオス猫は………たぶん2匹の血縁です。
この数年前。
かわいがっていた猫とその息子猫をたてつづけに猫エイズでなくし
意気消沈していたところへ、なくなった猫そっくりのわかいメス猫が、
子猫を2匹ひきつれてうちの庭でくらしはじめました。
それが下の写真の左奥にいる三毛猫。
こちらはおそらく1994年春ごろ
そのとき連れていた子猫のかたわれが、その右にいるサバトラ(メス)。
三毛が先代の猫にあまりにそっくりでふしぎな縁をかんじ、
庭でくらせるように猫用の小屋をつくってやりました。
(もう1匹いた子猫は、うちにきてまもなく車にはねられてなくなってしまいましたが。)
とてもひとなつっこかったので
もとはどこかでかわれていた猫だったのかもしれません。
上の写真・右奥の白っぽい子猫は、1枚目の左にいるオス猫です。
じつはうつっているこれらの子猫たちは、
この母娘(三毛&サバトラ)どちらの子でもありません。
さらにべつの三毛猫もやってきた
この三毛が子づれでやってきた数ヵ月後。
またべつの三毛猫(仮称:新三毛)がうちにやってきました。
最初の三毛ととてもなかがよいのをみて、
おそらく母猫かなにかなのだろうと推測。
ほかの猫と一いっしょにごはんをあげるようになりました。
……すると、じょじょにおおきくなってくる新三毛のおなか。
なんと妊娠中でした!
その新三毛の子どもが、写真に写っている子猫たちなのです。
面倒見のいいサバトラちゃんと子猫
とうの母猫・新三毛は、子猫たちが乳ばなれしてしばらくすると
三毛&サバトラ母娘に子猫たちをたくしていなくなってしまいました(!)。
(離乳後タイミングをみて新三毛には避妊手術をしたので、その後は妊娠していないはず。)
なので新三毛の写真は、ざんねんながら1枚もありません。
さらにおどろくことが
そんなこともあるのねとびっくりしたのですが、
さらにおどろいたのはその一年後。
なんとその新三毛、ふたたびうちに様子をみにきたのです。
そして子猫がちゃんとそだってるのを確認しつつ
しばらくうちにいそうろうしたのち、
いつのまにかまた旅にでてしまいました。(゚o゚)ポカーン
その後はあんしんしたのか、もう二度とうちにやってくることはありませんでしたが。
ちゃっかりしててたくましい猫だな~とかんしんしたものです。
わかりにくいので猫家系図
へたくそでもうしわけないですが、家系図をイラストににするとこんな感じ。
丸がついているのが写真にうつっている猫。
このころが、うちの歴史のなかでいちばん猫密度のたかかった時期だと思います。
その後…
新三毛からうまれた4匹の子猫のうち、
1匹は生後1週間でなくなり(原因不明)、
写真にうつっている黒白ハチワレは突然死。
子猫の三毛も、おおみそかに交通事故で逝ってしまいました。
交通事故がつづいたことや、病気・ケガが心配になってきたことで
当時にも完全室内飼いをかんがえたのですが、
外ぐらしがながかったためか、室内飼い移行計画はまったく成功せず。
「外出自由な家猫」ということで妥協しました。
のこった猫たちとは7~8年いっしょにくらしましたが、
最終的にはけっきょくみんな、猫白血病にやられてしまいました。
(当時は猫白血病のワクチンがまだなかったのです。)
今日は震災でなくなった方々の冥福をいのりつつ、
かつての、いとおしい猫たちの思い出にもひたった一日となりました。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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