【東日本大震災から10年~今思い出すあの頃のこと】

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シロ 2021/3/11

シロ 2021/3/11

 

この3月11日は、東日本大震災から10年の節目でした。

テレビなどは朝からずっと震災関連一色。

 

本当は先日のシロの血液検査の結果についてまとめていたのですが、どうしても気分がのりません。

こちらは次回以降の更新にまわし、今回は当時の思い出をすこしばかり。

 

 

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当時のうちの猫事情

シロ

2010~2011年頃のシロ

震災のあった少し前。

(たぶん1~2月くらい)

前年からうちの庭に住み着いていたシロが、寒さで体調を崩しました。

それをきっかけに病院へつれていき(診断は猫風邪)、そのまま室内で暮らすようになったわけです。

 

もうすこしくわしい当時のシロようすは、こちらにあります

 

ぐうぜんとはいえ、今思えば絶妙のタイミングだったかもしれません。

福島の原発事故直後は関東でも放射線量があがっていたので、あのまま庭でくらしていたら被爆していた可能性もあります。

 

そんなわけで、震災当日はシロも室内でおびえてすごしていました。

クロやチョビもいくらか挙動不審になったようですが、比較的冷静だったとか。

当時は2匹ともまだ病気はしておらず、そこそこ若かったので体調を崩すこともありませんでした。

 

後述しますが、私は当日うちにいなかったため猫たちのようすは後日母から聞いたものです。

 

猫以外の当時のわが家

チョビ

 

こちらもたまたまですが、わが家は震災の前年にリフォームをおこなっています。

 

リフォーム前は、安普請かつ旧基準で建てられた築30年以上の一軒家。

ちょっとしたトラックが通るたびにゆれ、真冬の朝は室内でも息が白くなるありさまでした。

 

祖母のために2000年頃にも一部リフォームしましたが、祖母亡きあとは耐震補強もかねて骨組み以外をおおはばに再リフォーム。

おかげで震災当日はさほど大きく揺れずにすんだようで、室内もとくに大きな被害はありませんでした。

 

これについては本当にラッキーだったと思います。

妹の住むあたりでは、震災で瓦が落ちたり壁にヒビがはいるような被害が多かったそうです。

 

ちなみにその再リフォームの際、猫部屋は工事箇所にあわせてたびたび移動しています。

チョビはそのときのストレスで、以降いっさいトイレでウンチをしてくれなくなりました。

(おしっこは中でするのに、ウンチだけはわざわざトイレの外です。)

 

当時の私

震災のあった週、私はちょうど東京で個展のまっ最中でした。

本来は翌週おこなうはずだったのですが、たまたま初めての渡米のタイミングと重なってしまい、事前に翌週の方と交換してもらってます。

 

渡米自体も、飛行機がちゃんと飛ぶのか、そもそも成田まで行けるのか。

念のため前日から日暮里に一泊し、朝いちばんで成田空港へ向かいました。

あちらに着いてからもずっと足元がゆれている感覚がぬけませんでしたね。

 

あちらで参加した展覧会では、急きょ震災のチャリティーイベントが開催。

とつぜん「持ってきた小品をいくつか出せ」といわれてわけもわからず提出したところ…

知らないうちにチャリティー用として格安で売っぱらわれ、売れた作品代はすべて寄付の名目でとりあげられました。

 

なんなのこの業界……と不信感ましましになったのも良い思い出か。

(いや、そうでもない)

事前にちゃんと説明してくれてれば、こんないまだに根にもつこともなかったのになぁ。

 

震災当日

2011年3月11日の職場

2011年3月11日の職場デスクまわり

震災のあった日は金曜日。

私は個展の会場ではなく、都内の職場で被災しました。

重い本棚がおおきく動き、棚にあった蛍光灯や置物も落下して職場はめちゃくちゃ。

 

いそいで外に出ると近隣のビルがしなるように左右にゆれており、途方にくれた人々が道路のまんなかに身をよせています。

コンビニの棚はあっというまに空になり。

駅やデパートもすぐシャッターが下りました。

その後しばらくすると、大通りは徒歩で帰ろうとする人であふれ、ラッシュの駅構内のような混雑に。

 

当時カフェで英会話レッスンを受けていて、この日も夕方から先生と会う約束でした。

携帯がまったくつながらなかったため、待ち合わせ時間に直接カフェへ。

(カフェは窓ガラスが割れて臨時休業になってました。)

なんとか会えた先生と励ましあい、今後についてはあらためて連絡をとることにしてお別れ。

「なにか困ったらうち(そこから徒歩20分くらいの一軒家)においで」といってもらえて心底ホッとしたのを今でもおぼえています。

 

電車はすべて止まっていたため職場で夜あかし。

朝ようやくすこし電車が動きだしたので、いったん帰宅しました。

いつもは1時間たらずの片道がこの日は3~4時間かかりましたね。

 

震災翌日の土曜は個展展示の搬出作業あります。

夕方赤帽さんのトラックがくるまでに、歩いてでも会場へ行って梱包せねばなりません。

少しだけ仮眠をとったあと、着替えてふたたび都内へ向かいました。

さいわい電車もぽつぽつ動きはじめていたので、とにかく来た電車を乗り継いで会場へ。

搬出後の帰宅はたしか、そのままトラックに乗せてもらったような気がします。

 

翌日からは計画停電がはじまり、暖房も限定的になりました。

ベッドのなかでクロといっしょに暖をとっていましたっけ。

 

震災後

職場にはテレビがなかったため、インターネットとラジオの情報が頼みの綱。

あのおそろしい津波の被害も、その日のうちにネットで知ることができました。

 

ちょうど震災の前年くらいからぽつぽつTwitterを使い始めていましたが、本格的に利用し始めたのは震災がきっかけだったと思います。

リアルタイムに近い情報収集には本当に役立ちましたね。

 

その後あまたのSNSが出てきましたが、この経験のせいか、私にとってはツイッターがいちばん思い入れがあるかもしれません。

 

 

当時まだガラケーだった携帯も、震災などをきっかけにスマホに切り替えることをきめました。

「スマホがあればどこからでもツイッターが見られる」というのは大きかったかも。

 

そして今回、ひさびさに震災当時のつぶやきを見返してみました。

震災前はほんとうにどうでもいいこと(眠いとか出かけるとか)しかつぶやいてません。

が、震災直後からあきらかに情報収集と、励ましあいのためのツールになっています。

 

さいごに

書きながら当時のことが次々に思い出され、ついここまでとりとめなくきてしまいました。

 

この記事では当時の写真を載せたかったのですが……

当時ツイッターにあげた写真は、その後停止した連携サービスに保存していたため、残念ながら丸ごとなくなっていました。

震災で荒れた職場も、不安げな人々の姿も、冷たく閉ざされた駅のシャッターも。

すべての写真が消滅しています。

 

携帯本体には写真は残っていますが、なにぶん格安ガラケーだったのでもはやとり出せず。

 

あの時期の写真がぽっかりない、というのは……ほんとうに失敗したなぁと悔やまれてなりません。

 

追記 当日撮った写真がなんとか1枚だけネット上に残っていたので、追加で掲載しました(4枚目の、震災当日の写真)。ガラケーでの撮影なので今見ると小さいですね。

 

 

被災とはいえないほどのものではありますが、これが私の体験です。

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました。
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